【連載】コンテンポラリージュエリーことはじめ Vol.4 – ファインアートへのまなざし ヨーロッパ編ラインホールド・ライリング(Reinhold Reiling)、ブローチ、1967、素材:ゴールド、ダイヤモンド、ルビー、撮影:ルディガー・フレーター(Rüdiger Flöter)、©プフォルツハイム装身具美術館|同時代のファインアートの動きに敏感だったライリングの作風は、70年代に入ると幾何学へと移っていきます。アルハンブラ パロディ前回のこのコラム「コンテンポラリージュエリーことはじめ Vol.3 – ファインアートへのまなざし アメリカ編」は、アメリカの動向を取り上げました。今回は1950年代から60年代のヨーロッパに目を向けます。20世紀に入り二度の大戦で甚大な被害を受けたヨーロッパは、50年代に入ってスタジオジュエリーの発展が見られるようになり、アメリカと同様にファインアートの表現を取り入れることで新時代のジュエリー作ろうとします。アメリカとの大きな違いは宝飾文化の長く豊かな歴史です。特にゴールドを使った宝飾細工は goldsmithing (細工師は goldsmith)といい、現代もヨーロッパ出身の作家には、伝統への敬意と優れた技への誇りを込めて、ゴールドスミスと名乗る人は少なくありません。新しい表現を探る際も、この伝統はしっかりと尊重されました。ヨーロッパは複数の国からなるためそれぞれの違いにも留意せねばなりませんが、ゆるやかな共通点もあります。それが貴金属による重厚な表現、色石(主にカボションカット(丸い山形にカットした石)や不定形のバロック真珠)、そして表面の荒らしです。そこには厚塗りの絵の具の荒々しいタッチで激しい感情の動きを描写した同時代の芸術形式、アンフォルメルやタシスムの影響が見られると言われます。その例をまずはドイツから見ていきましょう。ドイツ:表層の革命ドイツではジュエリーや時計製造を地場産業とする、バーデン=ヴュルテンベルク州プフォルツハイムが発展のひとつの中心を担いました。ゴールドスミス兼教師だったカール・ショールマイヤー(Karl Schollmayer)(1908- 1996)は表層表現の重要性を説き、その考えに共鳴した作家が凹凸による陰影を取り入れていきます。その凹凸は、貴金属の表面に火を当てると生じるちりめんじわやかさぶた状のテクスチャなどによるものです。これはふつう、金属の最大の魅力である輝きを損なう失敗とみなされ残しておくことは考えられません。このタブーを犯すばかりかそれを持ち味として前面に押し出したのがこの時代のヨーロッパの作家たちでした。この表面の荒らしは、ラインホールド・ライリング(1922-1983)やクラウス・ウルリッヒ(Klaus Ullrich)(1927-1998)、エッベ・ヴァイス=ヴァインガルト(Ebbe Weiss-Weingart)(1923-2019)らの作品に見られます。ライリングとウルリッヒもショールマイヤーと同じく、教師として後進を育てましたが、このように現役作家が教師を兼ねることは、コンテンポラリージュエリーの現場では今も一般的です。ヘルマン・ユンガー(Hermann Jünger)、ネックレス、1963、素材:ゴールド、複数種の貴石、撮影:ルディガー・フレーター、©プフォルツハイム装身具美術館|こちらは作品単体の写真ですが、元となったドローイングや水彩画とジュエリーとが並置されるといかに忠実に立体化されているかがわかります。バイエルン州ミュンヘンでは、ジュエリーだけでなくドローイングも学んだヘルマン・ユンガー(1928–2005)が、水彩などのスケッチをそのまま立体化したような作風で、周囲の重厚な表現と一線を画しました。ジュエリーはふつう制作に注がれた時間と労力が完成度の高さや精巧さとして結晶化し、ひとつの価値を創り出しますが、ユンガーの作品は無造作に組み上げられたかのように軽やかです。実際の作りが粗いのではありません。この軽快さはゴールドスミスとしての高い技術があってはじめてできる表現です。ミュンヘンはその後長く、コンテンポラリージュエリー分野の先端を担いましたが、その立役者のひとりがユンガーだと言われています。それは作家として活動するのみならず、ミュンヘン美術院の教授として優れた作家を多く育て上げ、この都市の求心力と存在感を高めたことにあると考えられています。この時代を特徴づける貴金属+色石+表面の荒らしが見られたのはドイツに限りません。たとえばイギリスではオーストリア出身のゲルダ・フロッキンガー(Gerda Flöckinger)(1927-)が長きにわたりこういった表現をトレードマークとし、1971年には存命中の女性作家としてはじめて、ヴィクトリア&アルバート美術館で個展が開催されました。ここでは新時代の幕開けを飾ったひとつの潮流を取り上げましたが、ヨーロッパにおいては時代の変化や地域差に応じて作家たちのインスピレーション源となる芸術形式も変化していき、ほかにもデ・スティルやポップアートなどの影響を受けたジュエリーが作られていきます。イタリア:宝飾+芸術の歴史の継承前回、アメリカにおけるファインアーティストによるジュエリーを取り上げましたが、ヨーロッパでは、ルネサンス時代にファインアートと宝飾の蜜月を謳歌したイタリアで、その顕著な例が見られました。代表的なのは彫刻家のアルナルド・ポモドーロ(Arnaldo Pomodoro)(1926-)とジオ・ポモドーロ(Giò Pomodoro)(1930-2002)の兄弟で、彫刻的な芸術性とジュエリーとしての魅力を兼ねそなえた重厚な貴金属のジュエリーを作り時代を代表する作品を残しました。(左)ジオ・ポモドーロ、ネックレス、1964、素材:イエローゴールド、ホワイトゴールド、エメラルド、©トレド美術館|ジュゼッペ・フサリ(Giuseppe Fusari)との共作、(右)アルナルド・ポモドーロ、ネックレス、1966/68、イエローゴールド、ホワイトゴールド、撮影:ルディガー・フレーター、©プフォルツハイム装身具美術館|実寸17.5cmですが実物はもっと小さく感じられます。自分の作った彫刻作品をただミニチュアにするのではなく、はじめからジュエリーとして魅力あるものを作ろうとしたことが随所から感じられます。こうしたファインアーティストによる作品群は、1961年にロンドンのゴールドスミス・ホールで行われたグラハム・ヒューズ(Graham Hughes)(1926-2010)のキュレーションによる「モダンジュエリー国際展1890-1961」にも陳列されました。
この展覧会は約1000点もの作品が並んだマンモス級の展覧会で、今なおコンテンポラリージュエリー史上もっとも重要な展覧会のひとつに数えられています。これは近現代のジュエリーを総括した世界初の展覧会であり、ラリックの名品や名だたるハイブランドのジュエリーに加え、スタジオジュエリー作家やアーティストのジュエリーも同時に並べることで、素材的価値を超えた芸術表現としてのジュエリーの意義を打ち出しました。日本:ヨーロッパへの共鳴と発展の本格化こうしたヨーロッパの動きは、戦後の日本にも主に展覧会を通じて紹介されていき、戦前から少しずつ息吹き始めていたジュエリー分野の発展が本格化していきます。イタリアへの留学経験を持つ菱田安彦(1927-1981)は、ジュエリーが持つ文化的・芸術的意義に着目し、1956年にはのちにURジュエリー協会へと改称されるURアクセサリー協会、1964年には日本ジュエリーデザイナー協会の発足メンバーとなり、組織レベルにおいてもジュエリーの振興に取り組みました。平松保城(1926-2012)は、伝統をまったく新しい形で解釈しつつも日本らしいミニマルな美意識を備えた作風で、国外でも高い評価を得ました。
彼もまた、ヨーロッパの作家と同じく教師も兼ね、東京藝術大学で若手の育成にあたりました。平松保城、指輪、ゴールド、©gallery deux poissons|こちらは1970年代以降の作品と思われますが、作家がその経歴を通じて大きな持ち味のひとつとしてきた独自のテクスチャが見られます。これは純度の高い金を薄紙のように手で曲げたり丸めたりして作られたもの。このように、国によって少しずつ傾向の違いがあったものの、当時のスタジオジュエリーにおいて共通していたのは、ジュエリーに紐づけられた既存の価値観(貴重性や富の象徴)に疑問を投げかけ、芸術的な造形表現としてのジュエリーをめざしたところにあります。次回は50年代から60年代変革の風が吹き荒れたオランダに目を向けます。
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